郷土グルメ

郷土グルメ 東京都編

東京は人口約1400万人。新宿区に都庁を持ち、23区を中心に、多摩地区、島嶼部(とうしょぶ 伊豆諸島や小笠原諸島)からなり、江戸幕府の時代より日本の首都として、機能しています。

江戸の文化と、海や山の恵みもあり、多くの魅力的な食文化が育ち、郷土グルメも数多く存在します。

東京の郷土野菜

練馬大根

2品種存在しますが、『練馬尻細大根』は、長細く、80㎝から1mになることもあり、首と下部が細くて中央部が太く、尻が尖っている大根が一般的です。 肉質がしまり、歯ごたえもよく、たくあん漬けにされる事が多い。 『練馬秋まつり大根』は、長さ40㎝くらいで肉質の柔らかい大根。身がよくしまっており、水分が多く、甘みの強い大根。 江戸時代の元禄期頃(1700年前後)には栽培が盛んになり、昭和の初めころまで盛んに栽培され続けられましたが、戦後は衰退し、でまっわあることがほとんどなくなってしまいました。

参照  マイナビ農業  練馬区HP

小松菜

江戸時代から、江戸の小松川(東京都江戸川区)で栽培されてきた葉菜です。 1719年、香取神社に徳川吉宗が鷹狩りで寄った際、神主が接待で出した、餅のすまし汁に入れた青菜を気に入り、小松菜と命名したのが名前の由来だそうです。 冬の野菜とされており、別名「冬菜」「雪菜」とも呼ばれていますが、年中栽培ができ、全国で栽培されております。 味に大きな癖はなく、葉は柔らかく、茎もしっかりしており、炒め物やお浸しの他、お鍋などに入れてもとっても美味しく食べられます。

参照 wikipedia 他

東京の郷土料理

江戸前寿司

江戸前(東京湾)の豊富で新鮮な魚介類を材料とした、握りずしを中心としたすし屋で提供される寿司の事を一般的に言います。 誕生には諸説ありますが、1800年以降、文政13年の喜多村信節『嬉遊笑覧』という文献にある「世上すしの風一変し」とあり、このあたりで今の寿司の形が流行ったと解釈できます。 当初は屋台料理として江戸っ子にもてはやされ、瞬く間に江戸市中に拡がり、その後、日本全国に拡大していった。 屋外で売られていたこともあり、初期は、卵、海苔巻き、クルマエビ、コハダ、アナゴなどを酸〆や醤油漬けなど下処理をし、保存のきく状態の品であったが、その後、冷蔵保管の進化などにより、生のまま扱う寿司が増えていったそうです。

深川丼

ネギとあさりを味噌で煮込んで熱いご飯にぶっかけた漁師飯。 深川は皇居の東側に位置し、当時は海岸線に近い漁港のような場所で、良質なあさりやカキが沢山とれたそうです。 どんぶり形式のほかに、あさりの炊き込みご飯形式のものもあり、大工さんなどの職人さんがお弁当に持っていけるようにと出来た料理。

もんじゃ焼き

ゆるく水溶きした小麦粉にきゃべつなどの野菜を入れ、鉄板で火を入れながら食べる料理。 名前の由来は、『文字焼き』 下町、月島の駄菓子屋が発祥とされ、諸説ありますが、お好み焼きのだしを入れすぎて失敗したのが発祥とか。 この料理を、子供たちが文字を書いて遊びながら食べていたことから、もじやき→もんじゃとなったそうです。 子供の食べ物から、今では家ではもちろん、飲食店でも食べられる料理となり、東京の料理の代表となっています。

東京の郷土菓子

虎屋の羊羹

虎屋さんは、本社は東京にあり、東京の銘菓の扱いのようですが、創業は京都。後陽成天皇の1586年より、御用を務めており、明治の東京遷都とともに東京に移動(進出)し、現在に至るそうです。 味は何種類もありますが、やはり王道は小倉あんの『夜の梅』。断面に見える小豆を、夜に咲く梅の花に見立てて名づけられているそうで、とてもおしゃれなネーミングです。

長命寺桜餅

桜餅と言えば、ワッフル状の皮でアンを包み、桜の葉をまいた東京版と、桜色に染めたもち米でアンを包み、桜の葉でまいた長命寺の関西版があります。 長命寺は東京版で、墨田区向島にあるお寺。この近くで1717年に創業者山本新六氏が土での桜の葉を樽の中で塩漬けにし、桜餅と名付けで売り出したのが最初だそうです。 ちなみに葉は、公式見解?では、食べても外してもどちらでも良いそうですが、オフィシャルHPには、桜の葉は、香りづけと感想防止なので、はずしてお食べください。とあります。

雷おこし

東京バナナ

船橋屋くずもち

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